喉の不調から休養を取っていた越智志帆さんが、
2023年NHK紅白歌合戦へ出場することが決定しました。
そんな越智志帆さんの実家は、農家だそうです。
また、意外にも短大では秘書課に在籍していたといいます。
そこで今回は、
越智志帆さんの生い立ちや学歴、家族構成についてご紹介します。
越智志帆の生い立ちは?実家は農家?
実家は兼業農家
越智志帆さんの実家は愛媛県今治市朝倉地区に
あります。
兼業農家で稲作をしているそうです。
2009年9月26日放送の「情熱大陸」で
故郷の取材も行っています。
『Wildflower』という曲は、
父親から教えて貰った稲作の方法「中干し」からヒントを
得たそうです。
「中干し」とは、稲の根がしっかり張るために
途中で水を抜いて土を乾かすという作業のこと。
父親はそのことに喩えて
厳しい環境で人も成長することを教えたとのことです。
それがこの曲のモチーフになっていると
ライブで話していました。
子どもの頃には、水田の仕事の手伝いもしたでしょうね。
楽しい思い出だったのではないかと思います。
故郷はどんなところ?
越智志帆さんの故郷、今治市朝倉地区は、
山に囲まれた稲作の残る自然豊かな地域です。
昔ながらの近所付き合いのある、温かい土地でもあります。
近所の住人は、
私の父と志帆さんのお祖父ちゃんは同い年の幼馴染。
引用元:HAREX
我が家でSuperfly越智志帆さんのことを「〇〇さんの孫」と呼んでいる
と語っています。
本当に近隣の人との繋がりが深い地区なのですね。
越智さんも以下のように故郷を想っています。
私にとって、田舎者(愛媛県出身)であることは、
引用元:東洋経済
誇りであり、大切なアイデンティティです。
田舎者でありたいという(笑)。
引用元:東洋経済
その足場を大切にしていきたいという思いが強いですね。
そう述べるくらいに、素晴らしい環境だったようです。
夏は蝉時雨や蛙の鳴声、秋には山の葉が落ちる音、
冬には田んぼで凧あげやバトミントンで遊んだり、
春には田んぼ一杯のレンゲ草が見られ、
札所巡りの鐘の音などがしたことでしょう。
自然の摂理を見て、人間もゆっくりと変化を受け入れ、
引用元:東洋経済
余裕を持って過ごすことの大切さを感じました
自然豊かな地で育った越智さんならではの言葉ですね。
寺院仏閣も「無量寺」や「満願寺」などがあり、
越智さんも遠足に行ったかもしれませんね。
確かに誇りに値する環境だと思います。
また、越智さんは愛媛県のファンをとても大切にしていて、
ライブで愛媛の方言「伊予弁」を使ったこともあると
いう話です。
越智姓の秘密
愛媛県では3番目に多い苗字だという越智姓ですが、
他県においては1万人に1人しかいない珍しい苗字です。
越智姓は、もともとこの今治市が発祥の地だそうです。
越智志帆さんの実家がある地区は、
以前は「越智郡朝倉村」と呼ばれていたとのこと
ですので、発祥の地なのかもしれませんね。
物部氏の大新河命の孫の小致命(おちのみこと)が
引用元:Wikipedia
小市国造である越智氏の始まりとされている(『国造本紀』)
由緒ある苗字なのですね。
越智志帆の学歴まとめ!秘書課に在籍?
今治市立朝倉小学校
越智志帆さんは今治市立浅倉小学校に通っていました。
昔は今治市立上朝小学校でしたが、
2014年に統合されました。
水田に囲まれた素敵な学校です。
登下校のときにも楽しかったのではないでしょうか。
今治市立朝倉中学校
越智志帆さんの出身中学校、
今治市立浅倉中学校は公立の中学校です。
校舎が素敵な学校ですね。
中学時代、越智さんは自分に自信がなくて
人とのコミュニケーションが難しかったそうです。
ピアノが弾けることから、クラスのための
歌を作っていたという話もあります。
中学のときに、友達と人前でゴスペルを歌う機会がありました。
その際、幼なじみが越智さんの「声が好き」と言ったことから
歌うことが楽しくなったといいます。
好きな人に認められるのは、
自信のもととなるに十分ですよね。
愛媛県立今治北高等学校
越智さんの通っていた高校は、愛媛県立今治北高等学校です。
偏差値55-56で、公立の進学校となっています。
全日制の普通科と商業科があり、商業科はさらに
商業科と情報ビジネス科に分かれています。
高校3年生のときにバンドを結成し、
越智さんはボーカルを担当しました。
松山東雲短期大学
越智さんは松山東雲短期大学の秘書科に在籍していました。
旧秘書科、現在は現代ビジネス学科の偏差値は43~44です。
キリスト教精神に基づいた
教育が行われている女子短大です。
越智さんは寿司屋でアルバイトをしながら、
松山大学の軽音学サークルに在籍していました。
そこで多保孝一さんと出会います。
多保さんとは、しばらく音楽活動をともにしました。
大学2年生のときには、「Superfly」のボーカルに
なっています。
愛媛県を中心に活動を続け、大学卒業後は上京を繰り返していました。
卒業の翌年に上京し、音楽活動を本格化させました。
越智志帆の家族構成は?
5人家族
越智さんの家族構成は
父親
母親
姉
志帆さん
妹
の5人家族です。
父親は、元ミュージシャン志望といわれています。
娘である志帆さんはピアノを3歳から習っていました。
おそらく子どもの頃から音楽の絶えない家庭
だったのではないでしょうか。
他の家族の情報はありません。
家から遠くない学校にだけ通っていた越智さんですから、
家庭は居心地の良い離れがたい場所だったはずです。
「Superfly」のために離れるまで愛媛県から
出ることのなかった越智さんを思うと、
そう考えさせられます。
姉妹の確執
姉と妹の間に挟まれた越智さんは、
姉妹と母親の愛情を取り合い、
存在意義に悩まされていたかと思います。
何かすることでは姉には敵わないし、
可愛らしさでは妹には敵いません。
また、「妹だから我慢しなさい」と「姉だから我慢しなさい」
の両方を言われるのです。
そういった環境では
大人しく引っ込み思案になるか、自分を目立たせようとするか、
どちらかに傾く可能性もあるでしょう。
中学生まで人付き合いが苦手だったという越智さんですから、
幼少期は大人しい子だったのかもしれません。
しかし、中学で幼なじみに歌をほめてもらったことから、
歌による自己表現に転じたのではないでしょうか。
そうしてやがて「Superfly」へと繋がっていったのですね。
両親と姉妹、友人、人間関係、環境のすべてが
越智志帆さんの中で楽曲へと昇華されています。
喉のことは心配ですが、これからも素晴らしい歌声を
聞かせてほしいですね。
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