コナー・オレアリーさんは
サーフィン選手で、オーストラリアとのハーフです。
日本代表に選ばれパリオリンピックで
メダル獲得を目指しています。
ダイナミックな波乗りが魅力という
コナー・オレアリーさんの
プロフィールや生い立ち、経歴をまとめました。
また、母親は元プロサーファーの柄沢明美さんとのことで、
母親についても紹介していきます。
コナー・オレアリーのwikiプロフィール!年齢・身長は?
本名:コナー・カラサワ・オレアリー
出身地:オーストラリア・ニューサウスウェールズ州クロヌラ(クナラ)
生年月日:1993年10月12日
結婚:2020年11月
コナー・オレアリーさんの年齢は、
2024年3月時点で30歳です。
30歳で初のオリンピックに
出場することになります。
プロスポーツ選手のなかには、
30歳前後を境に覚醒する選手もいるようなので、
コナー・オレアリーさんは遅咲きの選手ですね。
また、気になる身長と体重は、
191cm
90kg
です。
オーストラリア人男性の
平均身長は179cmであるため、
平均身長よりも
10cm以上高いことがわかります。
また、体重も90kgあるので
大柄の体格ですね。
しかし、コナー・オレアリーさんは、
子供のころは小さく小柄だったようで、
「18、19、20歳ぐらいで体が大きくなった」
と明かしています。
コナー・オレアリーの国籍は日本?
コナー・オレアリーさんは、
日本国籍とオーストラリア国籍を
持っているようです。
両方の国籍を持っていながら
オリンピックで日本代表に選ばれたのは、
ISA(国際サーフィン連盟)への登録を
オーストラリアから日本登録へ移籍申請をしたからです。
コナー・オレアリーさんがオーストラリアではなく
日本を選んだ理由は、
オーストラリア代表よりも、
日本代表の方がよりチャンスがあったためです。
しかし、オーストラリアから日本へ移籍するのは、
思った以上に時間がかかってしまったのだとか。
2022年5月に移籍申請を出してから
移籍申請が認められ、
日本人として大会に出場できるのは
2024年1月1日以降だったため、
日本代表選考大会には出場できませんでした。
この状況下でも
コナー・オレアリーさんは、
「我慢します」
と決意を変えませんでした。
また、一連の移籍について
「こんなに大変だったとは」
とも吐露しています。
コナー・オレアリーの生い立ち
コナー・オレアリーさんの家族は
父親
母親
コナー・オレアリーさん
弟
の4人家族です。
父親は造園業を営んでいますが、
サーフィンもしてます。
母親は元プロサーファーです。
弟は13歳年下で、
コナー・オレアリーさんが子守をよくしており、
自分の子どもを育てているような経験だったとか。
そんな、面倒見の良いコナー・オレアリーさんは、
両親がサーファーだったため
5歳のころから自然とサーフィンを始めます。
子供の頃は体も小さくて
大人しい子だったそうで、
幼少期はのめり込むほど
やっていなかったみたいです。
「幼少期はとてもシャイで、
とにかくおとなしいいい子だった」
と、母親が明かしていました。
両親も、その友人も
サーフィンに誘ったりしていましたが、
コナー・オレアリーさんは、
「いつも断っていたのを記憶している」
と過去を振り返っています。
また、両親は無理強いすることもなく、
サーフィン漬けになる環境にありながら、
マイペースに少年時代を過ごしていたようです。
また、コナー・オレアリーさんは
サッカーを中学生ぐらいまでやっています。
その後9歳の時から少しずつサーフィンの
面白さに気が付き、
高校生になってから実力を伸ばすようになったとか。
高校生の時には初めて小さな試合に出場したときに
負けはしたものの、
楽しさに目覚めていったそうです。
そして、20歳ぐらいの時に
プロのサーファーになることを考えはじめます。
家族は、コナー・オレアリーさんが
プロのサーファーになるとは思っていなかった
と驚いたそうです。
コナー・オレアリーの経歴
20歳前後でQS大会で優勝し、
2017年23歳の時には、
CTチャンピオンシップ大会で
(世界最高峰のプロサーフィンツアー)
ツアー13位となり、
ルーキー・オブ・ザ・イヤー
を受賞、コナー・オレアリーさんは
世界のトップサーファーの仲間入りをしました。
2019年には、CTからQSに落ちた時期もありましたが、
2020年にはCTに復活しています。
当初はオリンピックには
興味がなかったようですが、
若い頃から切磋琢磨していた選手が、
2021年東京オリンピックで
活躍している姿をテレビで観て
オリンピックに出たい
と思ったそうです。
【画像】コナー・オレアリーの母親は元プロサーファーの柄沢明美!
コナー・オレアリーさんの母親は
サーフィンで元日本チャンピオンの
柄沢明美さんです。
昔からサーフィンをやっていたわけではなく、
子供たちにスキーや体操を教えていたそうです。
20歳のころ、
「流行ってるからやんない?」
と友人に誘われ、
湘南で初めてサーフィンをしたといいます。
「全然できなくて悔しくてはまった。
出会ってセンセーショナルなスポーツでした。
楽しくて、楽しくて」
と柄沢明美さんは明かしています。
負けず嫌いな性格から必死に練習して
JPSAのプロになり、
グランドチャンピオンまで上り詰めました。
柄沢明美さんとしても、
自分が好きなサーフィンで
息子がオリンピック選手になって
嬉しかったことでしょうね。
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