創価学会の名誉会長で、
公明党を設立したことでも知られる
日本有数の宗教団体を率い、
政界にも大きな影響を与えた池田大作さん。
妻や息子はどんな人なのでしょうか?
この記事では池田大作さんの家族構成や
奥さんとの馴れ初め、お子さんのプロフィールなどについてお伝えします。
池田大作の家族構成や生い立ちは?
生い立ち

池田大作さんの家族構成は、
父:池田子之吉(ねのきち)
母:池田一(はじめ)
兄弟:8人
と大家族です。
まずは池田大作さんの、
両親ときょうだいを見ていきます。
池田大作さんは、昭和3年=1928年1月2日、
東京・大森で海苔の製造を行う家に生まれました。
父・子之吉は、口数は少なく、頑固だった一方、
面倒見が良く、お人よしな一面もあったそうです。
母の一は明朗快活で良く働く人物だったそうです。

父がリウマチを発病し、
経営が危うくなってしまったそうですが、
母は明るく
「うちは貧乏の横綱だ」
と笑い飛ばしていたそうです。
子どもたちには
「人に迷惑をかけるな。ウソをつくな」
と言い、
叱るようなことはめったになかったそうです。
そんな両親は8人の子どもに恵まれ、
池田大作さんは8人きょうだいの五男として生まれました。
現在の家庭は?

つづいて、
池田大作さんの妻と子どもです。
- 妻:池田香峯子
- 長男:池田博正
- 二男:池田城久(故人)
- 三男:池田尊弘
妻・香峯子さんとの間には、
3人の子どもが生まれました。
詳しくは後述します。
池田大作の妻はどんな人?嫁との馴れ初めは?

名前:池田香峯子(かねこ)
出身地:東京都
生年月日:1932年2月27日
年齢:91歳(2023年11月時点)
出身校:サンタマリア大学名誉法学
(博士号取得)
職業:ビジャマリア大学名誉教授
池田大作さんの妻・池田香峯子さんは、
砂糖取引会社の常務で創価学会の理事も歴任した
名門・白木家の白木薫次の娘として生まれました。
創価学会の幹部の娘だったわけですね。
そんな2人の馴れ初めは昭和26年=1951年の初夏。
池田大作さんはある会合の帰り道、
旧知の友・白木とその妹と出会います。
この妹こそが、
後に妻となる香峯子さんだったそうです。
昭和27年=1952年
池田大作さんが24歳、
香峯子さんが20歳のときに2人は結婚しました。
当時の創価学会の会長の教えで
「家計簿をつけること」
と
「どんなに不愉快なことがあろうと、
朝晩、夫を笑顔で送り迎えすること」
という2つのアドバイスを受けた香峯子さんは、
その言葉通り、
毎日、家計簿をつけ、
笑顔で夫を送り迎えていたそうです。

池田大作さんは妻について、
「妻に感謝状をあげるとしたら、
『微笑み賞』でしょうか」
と語っていたようです。

その後には、
アルゼンチンの国立大学の「名誉教授」となったり、
韓国・京畿道城南市の
名誉市民の称号が授与されたりしています。
池田大作の息子はどんな人?子供の人数や性別は?

池田大作さんには息子が3人います。
それぞれ創価学会の要職についているようです。
長男は創価学会の最高幹部・池田博正

名前:池田博正(いけだ・まさひろ)
出身地:東京都
生年月日:1953年4月28日
年齢:70歳(2023年11月)
慶應義塾大学法学部・文学部卒業。
その後、関西創価学園にて教諭を10年間務めます。
創価学会本部に移ってからは、
創価学会副会長などを歴任しました。
2006年より創価学会の副理事長に就任。
創価学会の最高幹部のひとりとなりました。
聖教新聞や創価学会のYouTubeチャンネルでも
その姿を見ることができます。
次男は若くしてこの世を去る

池田大作さんの次男・池田城久さん。
写真や情報はほとんど残っていませんが、
写真の遺影を見てもわかるように、
大作さんとそっくりな容姿だったようです。
見た目だけではなく性格も非常に似ていたようです。
創価学会本部に就職した後は
美人を評判の妻と結婚し子どもももうけたようですが、
城久さんは胃穿孔という病に侵され、
昭和59年=1984年10月3日、亡くなりました。
29歳という若さでした。
三男・池田尊弘も創価学会の関係者

名前:池田 尊弘(いけだ・たかひろ)
出身地:東京都
生年月日:1958年4月11日
年齢:65歳(2023年11月)
職業:創価学園副理事長
池田大作さんの3男・池田尊敬弘さんは、
創価大学と慶應義塾大学を卒業後、
関西創価小学校、創価学園に勤めました。
その後は創価学会の様々な役職を歴任しました。
顔写真は見つかりませんでしたが、
次男・城久さんの葬儀で遺影を抱えていたのが、
尊弘さんだとみられています。
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