NHK教育テレビの「できるかな」の
「のっぽさん」として知られる
俳優で作家の高見のっぽさんが亡くなっていたことがわかりました。
亡くなってから半年以上経ってから公表でした。
そこでのっぽさんが亡くなった経緯や
結婚して子供がいるのか家族構成をまとめました。
また、みいつけた!のオフロスキーが息子という噂は本当なのでしょうか。
【死因】高見のっぽが死去・発表のタイミングは誕生日!

名前:高見のっぽ
本名:高見嘉明(たかみ・よしあき)
生年月日:1934年5月10日
没年月日:2022年9月10日(88歳没)
出身地:京都府京都市
身長:181 cm
職業:俳優・作家
高見のっぽさんは京都市出身で、
1967年から1990年まで放送された
NHK教育テレビ「なにしてあそぼう」「できるかな」に
「ノッポさん」として20年以上出演
ひと言もしゃべらず、ジェスチャーを交えて
相棒の「ゴン太くん」とのコンビで、
工作を作り出す姿が子どもたちの人気となりました。

「できるかな」放送終了後は、
主に絵本・児童文学作家として活動していましたが、
2022年9月10日、88歳でこの世を去りました。
死因は、
心不全
です。
【訃報】高見のっぽさん死去
— NHKニュース (@nhk_news) May 10, 2023
NHK教育テレビの番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが心不全のため88歳で亡くなりました
動画は1990年に放送の「できるかな」最終回、ノッポさんが番組内でしゃべった貴重なシーンですhttps://t.co/I52ricIhPV#nhk_video pic.twitter.com/Q5F72NFx6y
高見のっぽさんは生前、
「周囲を騒がせたくない、死後半年以上伏せてほしい」
と希望していたため、
死後半年経った5月10日の誕生日に公表した
ということです。
【顔画像】高見のっぽは結婚して嫁がいる?薬局経営?

のっぽさんは既婚者
と言われています。
奥さんは、薬局を経営していたという話です。
豊島区にある小学校の近くに家を建て、
自宅兼処方せん薬局として利用していましたが、
現在は移転したといいます。
高見のっぽさんこと高見映さんが亡くなったか。
— 伊藤光児 (@WXJsJwACzAqhWAv) May 10, 2023
昔は、豊島区高松小学校南側が自宅兼 奥様が
処方箋薬局を経営されていた。
現在はその場所は行政施設が建つ
処方箋薬局の方は、バス通り沿いに移転されていた。
高見のっぽさんのご冥福をお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/XdeQq0uz4N
自伝にも自宅に関する記述があったようです。
のっぽさんは、母校の小学校の前の薬局の2階に住んでいて、年賀状を書くと返事をくれたりしたものの、薬局前で「ノッポー!」と叫ぶ子供たちが絶えなかったからか、自伝の冒頭に「近くの小学校の子供は好きじゃない」と書かれてた記憶。深夜に自転車に乗ってコンビニへ行く姿もよく見かけました。RIP https://t.co/xeX5sfjQUv
— *june typhoon tokyo* (@junetyphoontyo) May 10, 2023
奥さんの顔写真は一般人のため見つけられませんでしたが、
ご自身の死の公表を半年遅らせてほしい
という遺言を残すほど、
周囲が騒がしくなることを嫌う方だったため、
奥さんもなるべく表に出ないよう徹底していたのかもしれませんね。
高見のっぽの息子がオフロスキー?似ている?
高見のっぽさんの息子は、
「できるかな」と同じく教育テレビで放送中の
「みいつけた!」に登場するオフロスキーではないか?
と言われています。


並べてみると確かに似ていますね!
ただ似ているだけで血縁関係はないようです。

オフロスキーの正体は、
俳優・演出家・脚本家として活動する小林顕作さんです。
父は童謡の作詞家である小林幹治さんだと明らかになっています。
のっぽさんとは無関係な模様です。
子供向け番組に登場するお兄さん
というキャラも同じだったことから
親子関係を疑う人も多かったのかもしれません。
また実際に、
高見のっぽさんに子どもがいたかどうかも不明です。
ただ、のっぽさんは、
子どもの発育をとても大切にしていて、
テレビに出演したり児童書を書いたりしていたため
子供が大好きなことは間違いなく、
ご自身でも子育てをしていた可能性もあります。
高見のっぽの嫁や子供は?家族構成まとめ
亡くなった高見のっぽさん、
奥さんはいるとみられますが、
お子さんについてはわかっていません。
オフロスキーの小林顕作さんが息子ではないかという噂がありましたが、
こちらはデマで単に似ているからというだけのようです。
死去から半年以上経って
誕生日に公表されたのは、
生前のっぽさんが、
「周囲を騒がせたくない、死後半年以上伏せてほしい」
と話していたためでした。
のっぽさんの活動は、
多くの子どもたちの教育に良い影響を与えたことでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。