フォークグループ「アリス」のリーダーを務めた
谷村新司さんが、
楽曲『サライ』や『昴』は
今でも多くの人に親しまれていますね。
そんな谷村さんは中国とのつながりが深く、
中国人ではないかと疑う声もあります。
今回は、谷村さんの生い立ちや中国との関係、
愛称チンペイの由来をまとめました。
谷村新司の生い立ち・経歴
五人家族の末っ子

谷村新司さんは
1948年、第二次世界大戦から3年後に
疎開先である大阪の長野町で生まれました。
両親と兄・姉の5人家族で谷村さんは末っ子です。
3歳まで暮らしたのち、大阪市内へ転居します。
父は実業家で母は三味線奏者

谷村さんの父親は、
録音会社を経営する実業家でした。
母親は長唄の三味線奏者で、
姉は6歳から地唄舞を続けていたそうです。
谷村さんは
大阪市立桑津小学校に通い、
運動神経がよく学級委員も勤めていたことから
クラスでも人気者だったよう。

しかし、小学4年生頃から肥満体型になり、
クラスメイトからは
「ブタ」
と呼ばれるようになりました。
大阪市立東住吉中学校に進学後、
谷村さんは女の子にモテたい一心で
ギターを始めました。
それが功を奏し、バンド活動を開始します。
大阪府立大和川高等学校
(現:大阪府教育センター附属高等学校)
に在学中、
フォークグループ「ロック・キャンディーズ」を結成。

みるみる人気バンドとなり、レコードデビューを果たしました。
その後、谷村さんは
のちに「アリス」の所属事務所の社長となる
細川健さんと出会い、
コンサートツアーのため渡米します。
そこでドラマー・矢沢透さんと知り合い意気投合。
アリス結成
帰国し、1971年12月25日、当時22歳で
もともと知り合いでアマチュアバンドを組んでいた
堀内孝雄さんと「アリス」を結成しました。

翌年、矢沢さんが合流し3人での活動が始まります。
しかし、最初はなかなかヒット曲が生まれず、苦戦したアリス。
年間300ステージ以上の地道なライブをしながら活動を続け、
1975年、ようやく
『今はもうだれも』を皮切りにヒット曲を連発しました。
ソロ活動
併せて谷村さんはソロ活動も開始しました。

アリスは1981年に一時活動を休止しますが、
谷村さんはソロで『昴』などの曲を生み出し、
他のアーティストへの楽曲提供も積極的に行いました。
1992年には加山雄三さんと連名で
かの有名な『サライ』を発表。

2000年にアリスを再始動させ、
以降10年以上にわたって
定期的にシングルをリリースしてきました。
2023年3月、急性腸炎のため入院。
同年10月8日、74歳でこの世を去りました。
谷村新司は中国人?
谷村新司は前世が中国人だった?

谷村さんは、しばしば
中国人ではないか
と疑われています。しかし、谷村さんは
生まれも育ちも大阪であることから国籍も日本である
と思われ、
純日本人
だと考えられます。
ではなぜ中国人と勘違いされるのか。
それは谷村さんが
前世は中国人かもしれない
という趣旨の発言をしていたからではないでしょうか。
過去生にさかのぼっていくと、
引用:日刊スポーツ
自分は中国大陸のどこかにいたのかなという気がすごくしますね
中学1年生の頃に地元で開催されていた
「中国貿易展」になぜか出向き、
ジャスミン茶を買ったのだそう。

当時から谷村さんは
中国に関わりのようなものを感じていたといいます。
そんな思いもあってか、
谷村さんはのちに中国人に愛されるアーティストに
成長するのです。
中国での活動歴

谷村さんが初めて中国に渡ったのは、
1981年、北京で開催したアリスのコンサートでした。
当時日本人アーティストとしては初で、
中国に「ポップス」をもたらしたとされています。

2日間で約2万人を動員し、
これを機に2004年に谷村さんは
上海音楽学院の教授に就任しました。
2008年の北京オリンピックでは、
開会式当日に各国元首昼食会で
「昴」が演奏されています。
2010年の上海万博でも谷村さんは「昴」を歌い、
ときには自身のコンサートでも
中国語で歌を披露していました。

それだけに中国人にもファンが多く、
谷村さんの歌はテレサ・テンやジャッキー・チュンなど
多くの有名人にカバーされています。


中国人の考え方、感性を、日本人はもう少し知るべきだろうし、
引用:日刊スポーツ
中国人たちも日本人の感性を知るべき。
10年以上前にそう語っていた谷村さんからは
現代においても学ぶことが多いのではないでしょうか。
谷村新司がチンペイと呼ばれた由来は?
①野末陳平に似ていたから

谷村新司さんは「チンペイ」という愛称で
親しまれてきましたが、
このあだ名は友人が命名したそうです。
由来の1つは、
学生時代、サングラスをかけた谷村さんが
評論家・野末陳平さんに似ていたから
と言われています。
こちらが、
1970年代の谷村さんと1983年の野末陳平さんです。

左側が谷村さんです。
似ているかと言われるとなんとも言えませんが、
メガネの形がこの頃の流行りなのか似ていますね。
似ていたのは学生時代だったそうなので、
両者が若い頃はもっと似ていたのかもしれません。
ちなみに最近の2人も比較してみました。

どうやらこちらの方がしっくりくるような気もします。
②呼び方の変化

「チンペイ」の2つ目の由来は、
呼び方が変化していった最終系が「チンペイ」だったことです。
シンジ→チンジ→チンペイ
子供の頃はいろいろなニックネームが
生まれやすいと思うので、
シンジが派生した結果、というのも納得がいきますね。
谷村新司の国籍・経歴まとめ
アリスを牽引しながら
数々の名曲を世に送り出してきた
谷村新司さん。
中学生の頃にモテたい一心で始めたギターが実を結び、
バンドを結成します。
やがて生涯にわたって
音楽活動を共にする仲間を得て
アリスは多くの人に親しまれてきました。
過去を遡れば中国大陸にいたかもしれないと語る
谷村さんは、昔から中国に縁を感じていたよう。
様々な音楽活動を通し、中国人からも愛されています。
愛称「チンペイ」の由来は
①サングラス姿が評論家・野末陳平に似ている
②シンジ→チンジ→チンペイ
といわれ、友人が命名したそうです。
これからも谷村さんの楽曲は
後世にわたって歌い継がれていくことでしょう。
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