2023年11月11日に中川翔子さんが、
改名することを報告しました。
中川さんは2023年4月に結婚報告をしており、
結婚を機に改名したようです。
そんな中川さんの生い立ちは壮絶だったといわれています。
今回は中川翔子さんの家族構成、過去、改名の真相を
深堀りします。
中川翔子の家族構成は?
家族構成
中川翔子さんの家族は
父・母・中川翔子さんの3人家族です。
中川翔子さんの高祖父は札幌農学校一期生で、
サケやマスを養殖するアメリカの技術を日本に普及させた
伊藤一隆さんです。
少年よ大志を抱け
とクラーク博士から言われた張本人だそうです。
中川翔子さんの父親
中川翔子さんの父親は、
マルチタレントとして活躍した中川勝彦さんです。
- 生年月日 1962年7月20日
- 没年月日 1994年9月17日(32歳)
- 出身 東京都文京区
- 学歴 慶応義塾大学中退
- 職業 ミュージシャン・俳優・声優
- ジャンル ロック
勝彦さんは、
1980年代前半の日本の歌謡界では珍しい
ヴィジュアル系アーティストでした。
気さくで、腰が低く、茶目っ気のある人柄だったようで、
関係者には親しまれていました。
交際していた女性と結婚しましたが、
イメージダウンになりかねないと
親しい関係やわずかな友人たち以外には公表していませんでした。
中川翔子さんの母親
- 名前 中川 圭子
- 生年月日 1953年12月31日
- 20代で東京青山町3丁目に「コールクラブ」というお店を友人とオープン
- 中川勝彦さんが亡くなり、銀座の飲食店のママとして4年間働く
- 六本木のショーパブを経営
- 2000年代東京都港区にショーパブ「ミラクル」を開店(2020年6月閉店)
中川翔子さんの母親である中川圭子さんは、自身の年齢を
永遠の29歳
と言っていますが、
中川翔子さんがテレビ番組「ファミリーヒストリー」に出演したときに
圭子さんは9歳年下の旦那・中川勝彦さんと結婚と紹介されていたので
1953年生まれの2023年現在は、69歳ということになります。
圭子さんが20代のころに
友人と共同でオープンした「コーラルクラブ」の常連客には
- 漫画家の赤塚不二夫さん
- タモリさん
- 所ジョージさん
- 作家の影山民夫さん
がいたようで、「タモリ倶楽部」のモデルになったお店だそうです。
その「コーラルクラブ」で中川勝彦さんとも出会い、
中川翔子さんが生まれるまで経営していたようです。
翔子さんが9歳のときに勝彦さんが亡くなり、
銀座の飲食店でのママや
その後六本木でショーパブ経営をしながら、
女手一つで翔子さんを育てました。
その後、東京都港区のビル内に会員制のショーパブを開店しています。
2020年の6月に同店は閉店しています。
ちなみに桂子さんはコスプレが大好きなのだそうです。
若々しくて可愛らしいですよね。
中川翔子の生い立ちが壮絶!父親の他界やいじめ?
幼少期
中川翔子さんが9歳のときに、
父親の中川勝彦さんが白血病で亡くなっています。
中川翔子さんは幼いころから妄想癖があり、
一人で遊ぶのが好きな子供でした。
幼稚園時代から、ジュニアモデルとして芸能活動を開始しています。
中学時代
翔子さんは中学時代、
中川薔子の芸名で子役として活動していました。
中学校では部活に入部せず、祖母からパソコンを買ってもらい
パソコンに熱中していたようです。
当時は学校に行くと気分が悪くなり、
トイレで吐いてしまうこともあったようです。
中学3年生のときに中川翔子さんが
いじめっ子に仕返しをしたことで、
いじめがエスカレートしていきました。
自分の靴箱がへこんでいて、明らかに誰がやったのか聞こえるように言われ、相手の靴箱に仕返しをしました。しかし、もっと自分の靴箱がベコベコにされました。
靴がなくなったことを先生に相談したら、
ローファーを貸してくれたようですが
その先生からローファー代を請求されたようで、人間不信になり
それ以降学校にも通わず、卒業式も出席しなかったようです。
高校時代
中学時代、壮絶ないじめにあった中川翔子さんは
登校日数が少なくて済む、通信制の学校に進学しました。
高校1年生のときに
ポポロガールオーディオでグランプリ獲得
します。
本格的にグラビアアイドルとして活動を開始し、
高校2年生のときには
ミス週刊少年マガジンの準グランプリ
を獲得しています。
中川翔子が改名した理由は?
2023年11月11日、中川さんは
「中川しようこ」から「中川翔子」に改名することを発表しました。
本当は(しようこが)イヤだったんですよ。しとよが合体して“はうこ”って書かれたりとか。説明にも困って
引用:Yahooニュース
中川さんの名前は、これまで「しようこ」で登録されていたようです。
パスポートの変更したときに、「中川しようこ様」と呼ばれて
「しょうこです」と言ったそうだが、「しようこですよ」と返され
よく見たら「よ」が大きかったとのこと。
名前が「しようこ」になってしまった背景には、
こんなエピソードがあったようです。
本来、しょうこの漢字を薔子と使う予定だったが、叔母が区役所の届け出で人名に薔薇という字が使えなかったことで、区役所職員ともめ「じゃあ、ひらがなでいいわ」と「しょうこ」と殴り書きしたところ、「しようこ」と登録されました。
これまで改名しなかったのは、
「しようこ」の画数が最強だったために我慢していたとのことです。
しかし、2023年4月に結婚をして苗字が変わったことで
「しようこ」がより目立つようになり、
改名を決意しました。
芸名である中川翔子の『翔子』をもらうことにしました、今の名字と画数がいいんですって。もう20年以上この名前で活動させていただいたので、慣れたわけですよ
引用:Yahooニュース
結婚を機に改名し
芸名では中川翔子として、プライベートでは○○翔子として
公私ともに、翔子さんには幸せになってもらいたいと思います。
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