NHK2025年前半期朝の連続ドラマ小説に
やなせたかしさんがモデルの「あんぱん」が決まりました。
やなせたかしさんは
世界的ヒーローの「アンパンマン」の生みの親です。
優れたマルチメディアアーティストでもあった
やなせたかしさんの家族構成について、
生前の名言を交えながらお届けします!
やなせたかしの家族構成は?
1919年2月6日に東京で生まれた
やなせたかしさんは、
両親と弟との4人家族
でした。
4歳の時に東京朝日新聞記者だった父親が
取材先のアモイで亡くなると、
弟は高知にいる父方の伯父にひきとられます。
両親とも高知県の出身です。
その後、母親が再婚したため、
やなせたかしさんも伯父に引き取られたそうです。
伯父は、やなせたかしさんが望む道を選ばせてくれる保護者でした。
「とにかく絵に関係した学校へ行きたいと思っていました。叔父は私のわがままな進学を許してくれ、十分な仕送りを絶やさず送ってくれました。第二の父として育ててくれた叔父にも、感謝してもし尽くせません。」(原文ママ)
引用元:日本の学校
家族との縁が薄く見えがちなやなせさんですが、
伯父夫婦のもとで大切に育てられたようです。
「ちいさなてのひらでも、しあわせはつかめる。
ちいさなこころにも、しあわせはあふれる。」
生みの親と育ての親は違っても、
幸せだったのだと思います。
やなせたかしの妻は誰?子供は?
やなせたかしの妻は小松暢
やなせさんの妻の結婚前の名前は、
小松暢(こまつ のぶ)さん
で、二人の間に子どもはいませんでした。
妻の暢さんは「ドキンちゃん」のモデルとも言われていますが、元々やなせさんとは高知新聞で働く同僚でした。
引用元:ヤフーニュース
馴れ初めは、
やなせたかしさんの一目惚れだった
という話もあります。
小松暢さんが上京すると後を追いかけて
家に転がり込んだそうです。
ちなみに本当のドキンちゃんのモデルは、なんと
スカーレット・オハラさんだそうです。
そしてドキンちゃんは、
母に似ていて、性格は妻にも似ている
と言っていたそうですよ。
やなせたかしさんが台本に書いた言葉に
「絶望の隣に誰かがそっと腰かけた」
があります。
小松暢さんがやなせさんにとっての「誰か」だったのですね。
夫婦仲はよく、暢さんはやなせさんが
漫画家になる時も後押ししました。
《漫画家としてひとりだちを目指すやなせさんを暢さんはこう励ました。
引用元:女性自身
「なんとかなるわ。収入がなければ私が働いて食べさせるから」》
まさに「糟糠の妻(そうこうのつま)」ですね。
そうしてやっと「それいけ!アンパンマン」
の放映がはじまった1988年、乳がんが見つかります。
いったんは良くなったように思えましたが、
暢さんは1993年11月22日にガンで亡くなりました。
子供はいなかった
2人の間に子どもはいません。
やなせたかしさんは、
アンパンマンは二人の子どもだ
と言っていたそうです。
二人で育てたのだと言ったのです。
「正義は逆転することがある。信じがたいことだが。じゃあ、逆転しない正義とは何か?飢えて死にそうな人がいれば、一切れのパンをあげることだ」
引用元:日刊スポーツ
これは小松暢さんの言葉として紹介されています。
アンパンマンの成り立ちとして語っていました。
「逆転しない正義とは献身と愛だ。
それも決して大げさなことではなく、
眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、
その人に一片のパンを与えること。」
こちらは、やなせたかしさんの言葉です。
二人は同じ信念を持っていたのですね。
きっと二人はよくこうしたことを語りあっていたことでしょう。
二人で育てた、二人の子どもというのは
ここから来るのではと思います。
やなせたかしの弟の名前や顔画像は?
やなせたかしの弟は千尋
やなせさんの弟の名前は、
柳瀬千尋(やなせちひろ)さん
です。
22歳で戦死しています。
千尋さんは上の画像の後列右から4番目
眼鏡をかけた男性のようです。
馬の像に乗っている写真もあります。
顔がよく分からないので、拡大と加工をしました。
眼鏡をかけていることと腕を肩から三角包帯で
吊るしていることがわかりますね。
とても楽しそうな表情をしています。
馬が好きだったそうですから、嬉しかったのでしょうね。
千尋さんは京都帝大生でしたが、海軍に入隊しました。
死因は、特攻に志願させられ亡くなった
と長く思われてきました。
しかし、真相は
バシー海峡で駆逐艦ごとアメリカの
潜水艦に海に沈められての死
だったのです。
その時の生存者がいて証言していました。
千尋さんの死について記述している本も発行されているそうです。
アンパンマンのテーマ曲は特攻隊に関係している?
千尋さんが特攻に志願したといわれていたことから、
アンパンマンのOP曲の歌詞と特攻は関連がある
と言う人もいます。
しかし、やなせたかしさんは、こう言っています。
「戦争は嫌い。」
そんなやなせさんが特攻隊の歌詞を書くでしょうか。
千尋さんや命半ばに亡くなられた人々のことを
考えていたと思います。
それは戦争に限らず、不慮の事故や天災、
病気で亡くなった人のこと、残された家族のことを
やなせさんは思っていたのではないでしょうか。
アンパンマンの歌を聴くと勇気が出るとともに
悲しくなるのはそのせいかもしれません。
「あんまり深く突き詰めて考えない。
“今日を楽しむ”と考えていけば、何とか
やっていけるんじゃないかな」
「悲しみに負けそうな時、ゲンコツで
涙をふきなさい。やっつけなさい!弱い心」
大切な家族を見送っても、やなせたかしさんは
希望を捨ててはいませんでした。
アンパンマンはどうも生きるんじゃないかと思います 晩年にこのヒーローにめぐりあったので もう夕日なんです その中で君に会えてよかったと思っていますね
引用元:NHK
「笑って死ぬ。」
そう生前言っていたそうです。
多くの人と死別したやなせたかしさんが、
それでも私たちに声援をくれたのは、
強い心があったからなのですね。
やなせたかしさんは、2022年10月13日に亡くなりました。
墓は高知県香美市香北町朴ノ木にある
やなせたかし朴ノ木公園内に作られてします。
実家があった場所です。
今は、暢さんやアンパンマンたちに見守られて
眠っています。
やってみたいことはもうないよ。見えないし、聞こえないし、動けない。いよいよ天命の尽きるときが来たかな。何もできないけれど、生き返ったら何でもやります
引用元:産経新聞
最後のインタビューでの言葉だそうです。
とても潔い言葉で、この世でやるべきことは
やり尽くしたという誇らしさも感じますね。
やなせさんの残した作品は
これからも多くの人々に夢や希望を与え続けてくれることでしょう。
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