2023年6月に、
50代の一般女性と結婚していたことを発表し
話題となった細川たかしさん(73)。
実はデビュー前に結婚していましたが、
前の奥さんの和子さんとは死別しています。
この記事では、細川たかしさんの
前妻・和子さんの顔写真や、
馴れ初め、死因の病気についてお伝えします。
【顔写真】細川たかしの妻は和子!超美人!
細川たかしさんの妻は和子さんと言います。
2人が抱いているのは息子・譲さんです。
1974年、
細川さんが22歳のときに生まれたお子さんですので、
2024年現在、
50歳を超えていることになりますね。
そしてこちらは2020年の歌番組で
公開された画像です。
2018年に亡くなった和子さんのことを思って
細川さんがデビュー曲「心のこり」を歌唱したときのものです。
ピンク色のヘアカラーがとても似合う
色白で美人の奥様ですね。
一枚目の写真と比べると少し痩せている印象も受けます。
細川たかしと妻・和子の馴れ初めは?
細川たかしさんと和子さんは
1973年に3月に結婚しました。
2人が出会ったのは細川たかしさんが
地元・札幌で下積みしていたころです。
細川たかしさんは北海道虻田郡真狩村の農家に
7人きょうだいの末っ子として生まれました。
地元の高校を中退し
歌手を目指して札幌に出てくると、
昼間は自動車整備工で生計を立てながら、
夜は、
「タダでいいから歌わせてくれ」
とススキノのキャバレーなどで
流しの歌手として活動し始めました。
やがて複数のクラブで歌うようになり、
自動車整備の仕事を辞めて歌手活動に専念し始めたころに
和子さんと出会いました。
札幌で一番の歓楽街・ススキノのナイトクラブで
働いていた和子さんに
細川たかしさんが一目ぼれしアプローチしたそうです。
細川たかしさんより1歳年上の和子さんが、
年下に興味がないことを知ると
年齢を偽ってアタックしたそう。
その後、交際3か月で結婚し子どもにも恵まれました。
その後、1974年に「1年で売れなければ戻る」と約束し、
妻子を札幌に置いて単身上京すると、
1975年にリリースしたデビュー曲「心のこり」が大ヒット。
その後も「北酒場」や「浪速節だよ人生は」で
その地位を確かなものにすると、
2005年に所属していたバーニングプロダクションから独立し、
個人事務所を立ち上げました。
この個人事務所の事実上のトップとして切り盛りしたのが和子さんでした。
細川たかしの妻・和子の死因は?何の病気?
細川たかしさんの妻・和子さんの死因や病名は公表されていません。
1年半の入院・闘病の末、
2018年11月23日に70歳で亡くなっています。
しかし病気との付き合いはもっと長かったそう。
1981年、細川さん夫妻は
二人の故郷である北海道札幌に自宅と賃貸マンションを兼ねたビルを建て、
東京との二拠点生活を続けていました。
しかし、2010年ごろから和子さんの体調に異変が起き始め、
入退院を繰り返すようになりました。
2013年ごろには
東京の自宅を売却し和子さんは札幌のビルに移住し療養します。
細川さんの親族総出で和子さんの闘病を見守っていたようで、
細川さん自身も仕事がないときには札幌で和子さんと過ごしていたそうです。
しかし容体が良くなることはなく
2018年11月中旬に和子さんは息を引き取りました。
亡くなる前、
1年半は札幌市内の病院で入院していたということです。
ただ、ウワサでは細川たかしさんと和子さんの息子
細川譲さんがSNSで病気について投稿していたといわれています。
(ちなみに現在は削除されているようです)
それによると病名は、
「間質性肺炎の影響による、胸部大動脈瘤破裂」
で、
亡くなる4年半前、2014年ごろには、
脳内出血による開頭手術も行っていることも明らかにされたそうです。
その後はすべて削除されたようです。
(アカウントもみつかりませんでした)
これらの投稿が本当であれば
血管系の疾病を患い亡くなったということですね。
・【顔写真】細川たかしの再婚相手は加藤喜代美?
・八代亜紀の結婚歴は?元旦那は増田登
・八代亜紀の若い頃の身体がスタイル抜群
コメント