男子バレーボール日本代表の西田有志選手は、
明るい性格とイケメンで人気の選手です。
そんな西田有志選手の母親の名前は美保さんで、
バレーの英才教育の熱血ママなのだとか。
ここでは、西田有志選手の母親の年齢などのプロフィール、
熱血指導エピソードについてお伝えします!
西田有志の母親の年齢や顔画像は?名前は美保!
西田有志選手の母親は、
西田美保さん
といいます。
年齢は、
1968年生まれの56歳(2024年時点)
です。
身長168㎝と、50代女性の平均身長より
10㎝以上も背が高いです。
西田美保さんは元バスケットボール選手で、
実業団『東芝名古屋』に所属していたほどの
実力の持ち主です。
ちなみに、西田有志選手の父親の徳美さんも
元バスケットボール選手で
同じく実業団『東芝名古屋』に所属していました。
西田有志の母はバレー熱血ママ?家族エピソード5選
①自宅の壁一面にポスター
西田有志選手の両親は、
ご自身でかなりの「親ばか」だと公言しています。
西田有志選手の実家には
玄関やリビングの壁一面に
西田有志選手のポスターが貼ってあるそうです。
②試合は全て観戦
西田有志選手の両親は、西田有志選手の出場する試合を
すべて観戦しているそうです。
秋田県と大分県以外の試合は
父親の徳美さんが運転して現地で観戦していたそうです。
③中学時代の送迎は母親
西田有志選手は中学1年生の頃から、
部活と掛け持ちしていたクラブチーム「NFOオーシャンスター」での練習を
週1から週2に変更してもらっています。
この時体育館まで車で送迎するのは、
母美保さんでした
西田有志選手が学校から帰ると、
急いで食事をさせ、
練習が終わって家に帰るのは夜中になることもあったそうです。
この時のことを
「息子が道を踏み外さないように、なりふりかまっていられなかった。」
と母・美保さんは言っています。
西田有志選手は地元「いなべ市立大安中学校」に進学したものの
当時の大安中学校のバレー部は、
西田有志選手を除いて全員が初心者で、
指導者もいない状態でした。
西田有志選手が率先して練習メニューを
考えていましたが、チーム内の温度差は大きく、
西田有志選手はストレスから
素行の悪い友人と付き合うようになりました。
そのため、母美保さんは
西田有志選手の友人関係に口出しはしないものの、
息子が悪い方へ流されないよう、必死で送迎をしていたそうです。
バレーボールとの縁を切らないようにとの
母美保さんのそんな思いと、西田有志選手の熱意により
中学3年生になる頃には、
部活の雰囲気も良い方向に変わっていったそうですよ。
④毎日お弁当
西田有志選手は、
強豪校の誘いを断って地元の「海星高校」に進学します。
高校時代は、母親の美保さんが
毎日お弁当を作ってくれて、
西田有志選手は、一度も高校の学食を利用したことがないそうです。
西田有志さんも
「美味しかった」
と言う母親の手作りのお弁当は、
息子のために、栄養バランスを考えた愛情たっぷりのお弁当だったのでしょう。
忙しいなか息子を支え続ける母親は本当に凄いです。
⑤お前のせいで負けたんやぞ!
西田有志選手が、一番挫折を味わったのが、
高校2年生の時、高校生のバレーボール全国大会である
春高出場をかけた決勝戦でのことです。
西田有志選手は、海星高校のエースでした。
対戦相手の松坂工業高校とフルセットになり、
西田有志選手の体力が限界を超えてしまいます。
最終セットの途中で両足がつってしまい、
ベンチに下がらざるを得なくなるのです。
その後もコートに戻ることはできず、
そのまま負けてしまいました。
試合後、号泣する西田有志選手に対して、
母親の美保さんは
「お前のせいで負けたんやぞ!」
と叱責したそうです。
かつて実業団でバスケットボールをしていて
勝負の世界の厳しさをよく知っているからこその
説得力のある言葉ですね。
西田有志選手も、
「スポーツでは厳しい指摘は当たり前のことです。自分の力のなさを感じましたし、それまでの自分が甘すぎました」
と当時を振り返っています。
試合の途中で足がつるのは練習不足だからと、
西田有志選手はこの敗退後、
筋トレに励むようになり、
また自身のプレースタイル、練習方法や食事内容
も見直したそうです。
西田有志と母との五輪初内定エピソード
全員つぶしてこい、それだけかな
2021年6月、東京オリンピック
男子バレーボールの日本代表選手が発表されました。
当時21歳の西田有志選手は
オリンピック初内定です。
母親の美保さんは
東京オリンピック内定を聞いて
「すごいと思う。全員つぶしてこい、それだけかな。そしたら勝つもんね」
と言ったそうです。
豪快な母親ですね。
オリンピックへの道
5歳の時からバレーボールに夢中だった西田有志選手。
中学3年生の時に書いた作文のタイトルは
「オリンピックへの道」で、
「私の夢は、2020年東京で開かれるオリンピックに出ることです」
と書いてありました。
西田有志選手は、東京オリンピックの内定を受けて
「悩んだ時に助けてくれたのが両親だったので…。自分の人生で助けられてばっかりだったので、一番にやってあげたいのはオリンピックに出て、そこが恩返し」
と感謝を口にしていました。
家族に支えられ、ここまできた西田有志選手。
これからの活躍も期待しています!
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