新海誠監督の最新映画「すずめの戸締まり」に出てくる
「後ろ戸」とは一体なんなのでしょうか。
映画を観ていてなんとなくこういうことかなと思ったのですが、
はっきりとした定義がわからず調べてみました。
すると思っていたものと全然違い、神仏的な意味合いがあることがわかりました。
この記事では、後戸についてわかりやすく解説してきます。
すずめの戸締まりで出てくる「後ろ戸」
すずめの戸締まりの映画に出てくる後ろ戸とは、
人が住まなくなり放置された廃墟にある扉で、そこから地震を発生させるミミズと呼ばれるものが出てきてしまうというものです。
いわば、災いの出入り口となってしまっている扉のことです。
それは「後ろ戸」と呼ばれていて、常世と繋がっています。
常世とは、永久に変わらない神域のこと。
つまり死後の世界です。
日本神話や古神道や神道の重要な二律する世界観の一方であり、対義語として「現世(うつしよ)」があります。
そのため、通常は後ろ戸には生きている人間は入れないのですが、
主人公の「すずめ」は幼い頃、極寒の中で母親を求めて彷徨い歩き、
その扉の中に迷い込んでしまいました。(一度生と死の間を彷徨ったのかもしれませんね。)
この経験からすずめは後ろ戸の向こうに、常世を見ることができるようになったのではと推測されています。
物語としては、この後ろ戸から出てくる災いのエネルギー(ミミズ)を常世に返して、
扉の鍵を閉めていくという展開で進めんでいきます。
後戸(うしろど)の意味
それでは、後戸とはそもそもどういう意味なのでしょうか。
私は、映画を観た時、
「後戸」のことを、「本来とは反対むきに開いてしまったドア」のことだと思っていました。
いわゆる逆さ扉にしてしまい、災いが入り込んでしまう、呪いのようなものかと。
しかし、実際は違いました。
後戸(うしろど)は、仏堂の背後の扉のことです。
「後ろ戸」とは、古典能学における概念で、神や精霊の世界につながる扉のことです。
映画の中でも、霊界につながる扉として描かれています。
新海誠監督も次のようにコメントしています。
そして廃墟という舞台から、その出入り口として自然と“扉”というモチーフにもつながっていきました。扉は“後ろ戸“という名前なのですが、造語ではなく、古典能楽における概念です。神様や精霊の世界に繋がる扉という意味だそうで、神様は普段、人目につかない後ろ側の扉から出入りしていて、日本古来の芸術表現はその“後ろ戸の神”から超常的なインスピレーションを得るものだと考えられていた、といったことを本で読んだんです。
引用:オリコンニュース
神様の通路みたいな意味合いで神秘的であることが物語に通じる気がして、かつ、表の玄関ではなく、後ろ側にある扉から何かが出入りしてるという感覚がなんとなく分かる気がして、いい言葉だなと思い、映画で使わせてもらいました。
確かに世界の裏側と通じるドアとして「後ろ戸」って名前もかっこいいですし、
今回の映画にぴったりの言葉ですよね。
なぜ廃墟で後ろ戸が開く?
それでは、なぜこの後ろ戸は廃墟で開いてしまうのでしょうか。
草太が後ろ戸に鍵をかけるときに唱える呪文の意味を見ていくと、そこにヒントがあります。
草太の呪文(祝詞)の意味
草太が鍵をかけるときの呪文(祝詞)がこちら。
かけまくしもかしこき日不見(ひみず)の神よ。
遠つ(とおつ)御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ。
久しく拝領つかまつったこの山河(やまかわ)、
かしこみかしこみ、謹んで・・・・・
お返し申す!
かっこいいですよね!
この言葉の意味を紐解いていきましょう!
かけまくしもかしこき
「かけまくしもかしこき」とは、
声に出して言うのも畏れ多いという意味。
神主さんが唱える祝詞(のりと)の始めにでてくる言葉です。
日不見(ひみず)の神
「日不見(ひみず)の神」は、日を見ない神、つまりヒミズというモグラの神様のことです。
モグラ(ヒミズ)はミミズを食べますから、災いを起こすこのミミズをヒミズ神に捧げるという意味になりますね。
遠つ(とおつ)御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ
「御祖(みやお)」とは先祖の尊敬語で、遠つをつなげると「先祖代々」という風に考えられます。
「産土(うぶすな)」は、産まれた土地の守り神のこと。
久しぶりに実家に帰省してお墓参りができました。僕はまったく信心深くはないけれど、「うぶすな」という言葉からまっすぐに連想するのはこの場所です。皆それぞれにそういう場所があるんでしょうね。『すずめの戸締まり』の戸締まりは、人の消えてしまった場所をうぶすなに返すイメージで描きました。 pic.twitter.com/6KOaBzYT66
— 新海誠 (@shinkaimakoto) November 14, 2022
久しく拝領つかまつったこの山河(やまかわ)
拝領とは、目上の人や身分の高い人から物などをもらうことの謙譲語です。
つまり、「長い間お借りした」という意味ですね。
かしこみかしこみ、謹んで
「かしこみかしこみ」は、神道において神様にお願いするときに唱える言葉。
漢字では「恐み恐み」や「畏み畏み」と書きます。
神様という、私たち人が直接ものを申すには、恐れ多いほどの偉大な存在に対して、最大級の畏敬の念を持って、お祈りをささげさせていただく
という場面で使われる言葉です。
全訳
つまりこれらを全てつなげると、
声に出して言うのも畏れ多い、モグラ(日不見)の神よ。
先祖代々の土地神様よ。
長い間お借りしていたこの土地を、謹んでお返しいたします。
という意味になります。
草太の言葉をヒントにすると、
廃墟で後ろ戸が開く理由が次のように考えられます。
人の心の重さがその土地を鎮めている
後ろ戸が開くのは、人がいなくなった寂しい場所、いわゆる廃墟です。
そこは元々人々が、長い間、土地神様からお借りしていたもの。
物語の中で草太が
「人の心の重さがその土地を鎮めている」
とすずめに説明していました。
土木工事や建築工事を行う際、地鎮祭(じちんさい)を行いますよね。
その土地を守る氏神様に土地を利用させてもらう許可を得て、
工事の安全を祈願するという意味があります。
土地神様にお借りして人間が使っていた土地に人々がいる間は鎮まっている災いが、
人がいなくなることで土地を鎮める存在がいなくなり後ろ戸が開いてしまうのではないでしょうか。
そのため、草太は人が長く土地神様からお借りしていた場所をお返してしているのですね。
とても感覚的なことなのですが、神様は人をとても愛しているのだと思います。
人の思いがあるから鎮まっていた大地が、
人がいなくなると寂しくて暴れ出すのではないでしょうか。
人のために、神様が鎮めてくれていた場所。
そこをお借りして人が住み、時が流れ人がいなくなり、神様から借りっぱなしの土地はどんどん寂れていきます。
きちんとお返ししていかなければならない、その役割を草太がしてくれていたのですね。
人の思いがどれほど重いもので、神様に愛されているのかがわかりますね。
新海誠監督のインタビューの中で次のようなコメントがありました。
何かを始めるときは地鎮祭のような祈とうの儀式をするけれど、何かが終わっていくときはなぜ何もやらないんだろう。
人にはお葬式があるけれど、土地や街にはない。
じゃあそれらを鎮めて祈ることで悼む物語はどうだろう。
そんな「場所を悼む」物語として描かれているのですね。
とても素敵な映画だと思います!
これからの日本でこうした廃墟や人のいなくなった場所というのは増えてくると思いますが、
しっかりと感謝して神様との繋がりを大切にしていきたいなと思いました。
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