2024年2月3日、
車いすバスケットボール「長崎サンライズ」の
主将・小川祥汰さんが23歳の若さでなくなりました。
死因は、持病の骨肉腫だということです。
小川さんは、2018年に骨のがんの一種
「骨肉腫」を発症し、
左足を切断し車いすバスケに励んできました。
小川さんはどんな人だったのでしょうか。
生い立ちや経歴をご紹介します。
【顔写真】小川祥汰のwikiプロフィール
- 名前:小川祥汰
- 生年月日:2000年5月4日
- 年齢:23歳(没)
- 出身地:長崎県西彼長与町
- 職業:車いすバスケットボール選手
- 所属チーム:長崎サンライズ
- 死因:骨肉腫
小川祥汰の学歴は?
小学校
小川祥汰さんの出身小学校は、
西彼長与町立長与南小学校
です。
小学4年生の時にバスケットボールを始め、
主将を務めました。
中学校
小川祥汰さんの出身中学は、
長与町立長与第二中学校
です。
中学校でもバスケ部の主将を務めていました。
高校
小川祥汰さんの出身高校は、
県立長崎北陽台高校
です。
高校1年生の時からバスケ部の主要メンバーとして活躍します。
チームの得点源となる
身長178センチの3点シューターだったそうです。
2018年に骨のがんの一種「骨肉腫」と診断されるまでの
約8年間、バスケットに励んできました。
【生い立ち】小川祥汰の経歴は?
小川家の長男として誕生
小川祥汰さんは、
長崎県出身で、小川家の長男として誕生しました。
妹の藍花さん、
父親の久郎さん、母親の紀子さんの
四人家族です。
とても優しそうな両親ですね。
温かな家庭で育ったようです。
【小川さんの家族についての詳細はこちら!】
・小川祥汰の家族構成(妻・子供)は?父親・母親は?
小学校からのバスケ人生については次に続きます!
小学生で身長170センチ超える
小川祥汰さんは、
小学4年生でバスケットボールを始めました。
小学生ですでに身長170センチを超えていて
チームの主要メンバーとなりました。
小学、中学では
キャプテンを務めていました。
高校最後総体で骨肉腫と診断される
高校でも1年から主力メンバーとして活躍していましたが、
高校3年生になる直前、
左ひさの痛みを感じるようになったと言います。
そして、
高校最後の県高総体を2カ月後に控えた2018年4月、
骨のがんの一種「骨肉腫」と診断され
左足を切断しました。
大好きなバスケができなくなることは
相当の悲しみだったでしょうが、
それでも命を優先させ切断を決意したそうです。
顧問の紹介で車いすバスケを始める
そんな小川さんは、
高校のバスケ部顧問から
車いすバスケットボールというものを紹介されました。
そして、2019年には長崎サンライズに入部。
始めて2ヶ月でどんどん成長していきます。
当時のキャプテンは、
小川さんのポテンシャルを高く評価し、
今後のチームの主力になることを期待していました。
また、
元々車いすだった人だけでなく、
小川さんのように前は歩けていたのに病気や怪我などで
車いすバスケに転身した仲間の存在も
小川さんにとって大きな心の支えとなったそうです。
やはりスポーツは仲間という大切な存在ができる
素晴らしいものですよね。
がんが肺に転移
しかし、左足切断後、
ガンが肺に転移していたことがわかりました。
そんな小川さんを支えたのは、
社会人バスケットボールチームに所属していた時に
一緒にプレーをしていた仲間の
浦辺洋一郎さんです。
小川さんの応援団を作って募金を募り、
必要な車椅子などの資金に充てたそうです。
そんな応援してくれる人の存在が
小川さんにとって大きな励みになったようですね。
そして、2019年9月に手術をし、
無事、退院しました。
2022年にU23日本代表候補に選出
2022年には、
わずか競技歴3年でありながら
U23日本代表候補に選出されました。
そして2023年5月、
「電通デジタル」に入社します。
2023年春からはチームの主将を務め、
12月の第43回朝日九州車いすバスケットボール選手権大会
(九州車いすバスケットボール連盟、朝日新聞厚生文化事業団主催)
ではチームを3位に導いたそうです。
そんな中、体調を崩し、先月下旬から入院していていて
2月3日に亡くなりました。
バスケットボールを通じて
たくさんの人に勇気と感動を与えてくれましたね。
小川さんのご冥福をお祈りいたします。
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