森永卓郎さんは、
日本の経済アナリスト・タレント・大学教授
など多数の分野で活躍をしています。
しかし、現在はすい臓がんを患っており、
メディアの出演は少ないようです。
そんな森永卓郎さんは子供時代に、
いじめに遭っていて生い立ちが壮絶だったとか。
また、父親は特攻隊でした。
今回は森永卓郎さんの生い立ちや父親の教えを紹介します。
森永卓郎の生い立ちが壮絶!いじめに遭っていた?
海外で生活していた
森永卓郎さんは、
新聞記者だった父親の都合で、
小学1年生:アメリカ・ボストン
小学4年生:オーストリア・ウィーン
小学5年生:スイス・ジュネーブ
と小学校時代の半分を海外で生活しました。
そして、帰国した際は
ずっといじめられていたようです。
いじめの理由は
「デブで勉強ができなかったから」
と森永卓郎さんは語っていました。
海外生活ばかりだったので
日本語がままならず
成績は下から2、3番目だったようです。
いじめも、かなりひどく
「毎日たたかれ、蹴られて、
異物のように扱われていた」
と明かしています。
理由はもちろん、内容がひどすぎますね。
母親がいじめっ子を叱ることもあったようですが、
「親を出した」
と言われ余計にいじめにあったそうです。
しかし、ある日、森永卓郎さんが
ビー玉で遊んでいたら、手元が狂って
ビー玉がいじめっ子に当たってしまい、
泣かせてしまったようです。
これが、反撃だと思われたらしく
その後いじめはなくなりました。
この時に、森永卓郎さんは
こうやって反撃すればいいんだと思い、
従うことをやめたそうです。
また、海外生活でもいじめにあっていたという森永卓郎さん。
ドイツ語を習得出来ない状態で
現地の小学校に転校したことで、
コミュニケーションが取れずにいじめられた結果、
引き篭もり状態になったそうです。
森永卓郎さんは
「海外生活は人生最大の挫折」
と明かしていました。
中学時代は成績1番
中学時代は、日本にも慣れてきて
成績はクラスで1番だったとか。
いじめはなくなったそうですが、
毎日のように廊下に
立たされていたそうです。
理由は、
「間違っていると思ったことはおかしい」
と発言していたからのようです。
長期にわたる海外生活の影響があったのかもしれません。
高校は退学
高校時代は、
慶應義塾高等学校に入学しましたが、
森永卓郎さんは1日も登校することなく退学。
なぜなら、
「お前のような人間が付属高校に入ると、絶対勉強しなくなる」
と言って、父親が怒ったからだそうです。
そして、戸山高校に編入をしています。
父親は森永卓郎さんの性格を
わかっていていたのかもしれませんね。
また、森永卓郎さんも
あのまま高校に進学していたら
「今の自分はなかったかもしれない」
と話しています。
森永卓郎の父は特攻隊だった!父親が語った教えとは?
森永卓郎さんの父親は
森永京一さんで、特攻隊でした。
大学生で予備学生として海軍に召集されたのち、
特攻隊員となっています。
終戦があと2週間遅れたら、敵機へ突っ込んでいたとか。
広島の潜水艦で人間魚雷の訓練を受けおり、
訓練が終わり海面へ浮上して
ハッチを開けた瞬間に、
目の前で原爆が爆発したそうです。
目の前だったこともあり
父・森永京一さんは
被爆者になってしまいました。
そんな父親を持つ森永卓郎さんは、
「安全保障施策」に対しての主張や、
「戦争反対」、「核兵器にも絶対反対」
と訴え続けてきています。
このような活動は、
父親が特攻隊員だったということが大きかった
と語っていました。
父親の壮絶な経験を
生かしているのがわかりますね。
もうひとつエピソードして、
森永卓郎さんは
横浜DeNAベイスターズのファンですが、
父親が新聞記者であったため、
商売敵である読売新聞がオーナーを務める
読売ジャイアンツの試合を見てはいけない
というが家訓があったそうです。
これは、ちょっとユニークな家訓ですね。
森永卓郎は大人になってからも壮絶!2時間睡眠の休みなし?
森永卓郎は、大人になってからも壮絶でした。
子どものころのように
いじめはありませんが、生活が壮絶でした。
森永卓郎さん曰く、
「就職してから30年以上、年間6000時間くらい働いていた。
ひどい時は1日2時間睡眠の22時間労働で、年間1日も休みなし」
だったようで、
常に何か口に入れていないと
起きていられない状況だったそうです。
甘い炭酸飲料もたくさん飲み、
そんな生活を10年くらい続けていたとか。
また、
テレビやラジオのレギュラーが16本
雑誌の連載は37本
と、毎日原稿の締め切りや
取材を10本はこなしていたそうです。
あまりにも多忙な生活によって
家庭内では「母子家庭である」合意形成を
取っていた時期もあったようです。
また、森永卓郎さんはヘビースモーカーで
朝からカツ丼などを食べており、
太ってしまったことと睡眠時間も手伝って
糖尿病になってしまいました。
よく倒れなかったと思います。
ここまで過酷な生活ができたのも、
森永卓郎さんが、テレビなどを通じて
伝えたいことがあったからなのでしょうね。
それは、父親が体験した戦争が
背景にあるのかもしれません。
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