森永卓郎さんは、
日本の経済アナリスト・タレント・大学教授
など多数の分野で活躍をしています。
しかし、現在はすい臓がんを患っており、
メディアの出演は少ないようです。
そんな森永卓郎さんは子供時代に、
いじめに遭っていて生い立ちが壮絶だったとか。
また、父親は特攻隊でした。
今回は森永卓郎さんの生い立ちや父親の教えを紹介します。
森永卓郎の生い立ちが壮絶!いじめに遭っていた?
海外で生活していた
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/スクリーンショット-2024-03-12-002345-500x371.jpg)
森永卓郎さんは、
新聞記者だった父親の都合で、
小学1年生:アメリカ・ボストン
小学4年生:オーストリア・ウィーン
小学5年生:スイス・ジュネーブ
と小学校時代の半分を海外で生活しました。
そして、帰国した際は
ずっといじめられていたようです。
いじめの理由は
「デブで勉強ができなかったから」
と森永卓郎さんは語っていました。
海外生活ばかりだったので
日本語がままならず
成績は下から2、3番目だったようです。
いじめも、かなりひどく
「毎日たたかれ、蹴られて、
異物のように扱われていた」
と明かしています。
理由はもちろん、内容がひどすぎますね。
母親がいじめっ子を叱ることもあったようですが、
「親を出した」
と言われ余計にいじめにあったそうです。
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/信濃毎日新聞-500x416.jpg)
しかし、ある日、森永卓郎さんが
ビー玉で遊んでいたら、手元が狂って
ビー玉がいじめっ子に当たってしまい、
泣かせてしまったようです。
これが、反撃だと思われたらしく
その後いじめはなくなりました。
この時に、森永卓郎さんは
こうやって反撃すればいいんだと思い、
従うことをやめたそうです。
また、海外生活でもいじめにあっていたという森永卓郎さん。
ドイツ語を習得出来ない状態で
現地の小学校に転校したことで、
コミュニケーションが取れずにいじめられた結果、
引き篭もり状態になったそうです。
森永卓郎さんは
「海外生活は人生最大の挫折」
と明かしていました。
中学時代は成績1番
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/スクリーンショット-2024-03-12-003546-391x500.png)
中学時代は、日本にも慣れてきて
成績はクラスで1番だったとか。
いじめはなくなったそうですが、
毎日のように廊下に
立たされていたそうです。
理由は、
「間違っていると思ったことはおかしい」
と発言していたからのようです。
長期にわたる海外生活の影響があったのかもしれません。
高校は退学
高校時代は、
慶應義塾高等学校に入学しましたが、
森永卓郎さんは1日も登校することなく退学。
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/スクリーンショット-2024-03-12-004029.png)
なぜなら、
「お前のような人間が付属高校に入ると、絶対勉強しなくなる」
と言って、父親が怒ったからだそうです。
そして、戸山高校に編入をしています。
父親は森永卓郎さんの性格を
わかっていていたのかもしれませんね。
また、森永卓郎さんも
あのまま高校に進学していたら
「今の自分はなかったかもしれない」
と話しています。
森永卓郎の父は特攻隊だった!父親が語った教えとは?
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/週刊女性-2-500x331.jpg)
森永卓郎さんの父親は
森永京一さんで、特攻隊でした。
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/jprime-500x334.jpg)
大学生で予備学生として海軍に召集されたのち、
特攻隊員となっています。
終戦があと2週間遅れたら、敵機へ突っ込んでいたとか。
広島の潜水艦で人間魚雷の訓練を受けおり、
訓練が終わり海面へ浮上して
ハッチを開けた瞬間に、
目の前で原爆が爆発したそうです。
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/YouTube-1-1-500x277.jpg)
目の前だったこともあり
父・森永京一さんは
被爆者になってしまいました。
そんな父親を持つ森永卓郎さんは、
「安全保障施策」に対しての主張や、
「戦争反対」、「核兵器にも絶対反対」
と訴え続けてきています。
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/ure.pia_-500x314.jpg)
このような活動は、
父親が特攻隊員だったということが大きかった
と語っていました。
父親の壮絶な経験を
生かしているのがわかりますね。
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/スクリーンショット-2024-03-12-002416-500x372.jpg)
もうひとつエピソードして、
森永卓郎さんは
横浜DeNAベイスターズのファンですが、
父親が新聞記者であったため、
商売敵である読売新聞がオーナーを務める
読売ジャイアンツの試合を見てはいけない
というが家訓があったそうです。
これは、ちょっとユニークな家訓ですね。
森永卓郎は大人になってからも壮絶!2時間睡眠の休みなし?
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/週刊女性-500x431.jpg)
森永卓郎は、大人になってからも壮絶でした。
子どものころのように
いじめはありませんが、生活が壮絶でした。
森永卓郎さん曰く、
「就職してから30年以上、年間6000時間くらい働いていた。
ひどい時は1日2時間睡眠の22時間労働で、年間1日も休みなし」
だったようで、
常に何か口に入れていないと
起きていられない状況だったそうです。
甘い炭酸飲料もたくさん飲み、
そんな生活を10年くらい続けていたとか。
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/スクリーンショット-2024-03-12-004602-500x334.jpg)
また、
テレビやラジオのレギュラーが16本
雑誌の連載は37本
と、毎日原稿の締め切りや
取材を10本はこなしていたそうです。
あまりにも多忙な生活によって
家庭内では「母子家庭である」合意形成を
取っていた時期もあったようです。
また、森永卓郎さんはヘビースモーカーで
朝からカツ丼などを食べており、
太ってしまったことと睡眠時間も手伝って
糖尿病になってしまいました。
![森永卓郎](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/03/スクリーンショット-2024-03-12-004649-500x276.jpg)
よく倒れなかったと思います。
ここまで過酷な生活ができたのも、
森永卓郎さんが、テレビなどを通じて
伝えたいことがあったからなのでしょうね。
それは、父親が体験した戦争が
背景にあるのかもしれません。
・森永卓郎の現在の姿は?
・森永卓郎の妻は弘子!
・やなせたかしの生い立ちは?
![](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2024/01/名称未設定のデザイン-9-1-160x90.jpg)
![](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2023/12/MORINAGA-160x90.jpg)
![](https://nipponnowadai.com/wp-content/uploads/2023/10/【若い頃】やなせたかしの生い立ちは?出身地は高知と東京どっち?4-160x90.jpg)
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